芸術は竜巻だ

 

ヴィンセント・イン・ブリクストン

正門くん2年連続グローブ座での主演舞台おめでとうございます!!

美大生深馬から1年、今度は若き日のゴッホになる自担。あのゴッホですよ。

染、色ははじめて正門くんを観に行った舞台で個人的に特別な思い入れがある作品なんだけど、それにしたって2年連続主演舞台、しかも美大生からゴッホって…すごいなぁ。グローブ座は大好きな場所です。新大久保駅から迷わず行けるし。途中の匂いは嫌いだけどね、ドブ臭すぎないか。

 

ゴッホはもう当たり前に有名な画家。ひまわり描いた人、あとゴーギャンと喧嘩して自分の耳を切り落とした人。ざっくりこのくらいしか知らないんですけど今回は画家を目指す前、若き日のゴッホという点であまりにも"分からない"が多すぎる。いわゆる普通の暮らし、その一部分にスポットライトを当てているのが今回の作品なわけで。ゴッホだってゴッホの周りだってこんなにも有名になる未来が待っているなんて誰も想像していなかっただろうなぁ。ましてやハタチそこそこ、まだ何者でもない頃の生活なんて。だけど、その人生のほんの一部がこうして作品になるくらいだからゴッホの生涯というのはどこをどう切り取っても人々を惹きつけてやまなかったんだと思う。自担の主演を知ってからゴッホを中途半端に履修したような私が観て大丈夫なやつか若干心配になってくる……が、作品の解釈に正解はないでしょう、そうでしょう。

 

1回の観劇ではぜんぜん掴めなかったので2回目を観た今の感想です。

 

簡単なあらすじとしてはアーシュラという未亡人が営む下宿屋にヴィンセント(ゴッホ)が訪ねてくるところからはじまる話。

時代は1873年、舞台となるのはイギリス、ロンドン。イギリスへの転勤をきっかけにオランダ生まれのヴィンセント(画商)が下宿先で出会った人々と繰り広げていくさまざまな人間模様といったところかな。

画商のゴッホがイギリスに転勤になる、そして下宿先で恋をして失恋もする、ここは史実に基づいているらしい。

 

実はヴィンセントはたまたま見かけたアーシュラの娘(ユージェニー)のほうに一目惚れしてしまったわけなんだけど、その事実を隠したまま「空き部屋の貼り紙を見たから部屋を借してほしい」と家主であり母親であるアーシュラと交渉するというところから始まるという、いわば

"下宿人のテイでしれっと接近しちゃおうかな"の下心。

 

ヴィンセント、あんたなかなか狂ってるよ

 

今回、1回目の観劇で実質2列目(1列目は潰し)下手を引いたのでまずは舞台セットの生活感にとにかく感動した。アリエッティのような素朴で温かみのあるキッチンと木のダイニングテーブル、そこでの会話劇になるんだけどはじまった瞬間から調理が始まっていて。鍋からでる湯気、ソースをフライパンで焼く匂い、湯切りの蒸気までなんとなく感じられてめちゃくちゃワクワクした。じゃがいもの皮を剥いたりしてるところも見れた。じゃがいもからも湯気がすごかったなぁ正門くん、手は大丈夫か?熱くないか?(ヴィンセントが吸っているパイプの煙まで感じられたのさすがにやばいなと思いましたね)

調理しながらテンポ良く繰り広げられる会話劇、会話と会話のちょっとした間合いも絶妙。しかしヴィンセントよく喋るな?セリフ量が膨大で、まずは台本を頭に入れなければと話していた正門くんを思い出した。

セットの後ろ側には高くそびえる1本の木、あれは糸杉ですよね。壁の縁飾り、この作品では下宿人のサムが仕上げた桜だと説明されていたけどゴッホの作品《花咲くアーモンドの木の枝》じゃないかな。ところどころに"ゴッホ"が散りばめられている。

この時代の衣装、特にイギリスの人たちの衣装や髪型がすごく好きで。品があって洗練されているというか、オランダからでてきたヴィンセントや妹より少しだけ都会的というか、そんな感じがした。

 

ヴィンセントが訪ねてきた頃のアーシュラは毎日喪服を着ていて分かりやすく"その日から時が止まってしまった人"、かな。未亡人のアーシュラを演じる七瀬なつみさんは実年齢55歳、劇中ではもう少し若い設定かもしれないけどヴィンセントとの年齢差は20才以上。だけど彼との出会いによってその熱量や才能にほだされ徐々にヴィンセントに惹かれていく、そんな役どころ。

ヴィンセントが娘目当てと気づいた時点で普通なら追い出してしまうんだけど、それができなかった。正門くん演じるヴィンセントの許され力がさ、すごいんですよ。

 

《ヴィンセント》

とにかく感情の起伏が激しくて、思い込みが激しくて、そこに一貫性や強固さがあるようでいて全然ないみたいな。正門くん曰く"感情ファーストの人"なんだけど本当に考える前に口、なんなら口と手、竜巻のような人と言われていたけどほんとうにそうで。

無意識に人を傷つけやすく、だけど傷つきやすくもあり、なんだろう、その場その一瞬を情熱と己の感性だけで生きているというか、感動を生きているというか…だけどその姿は鮮やかで、なんかみずみずしくて絶対関わりたくないけど気になりすぎてほっとけないみたいな。ヒモか?あとシンプルにけっこう失礼なのよ、なんていうかひと言多いんだよ。

0と100をいったりきたりする。しかも声もでかいし身振り手振りが煩い。とにかく一緒にいたら間違いなく疲れる人。そんな人に出会ってしまったらまぁ心をかき乱されるよね当たり前だけど。最初ちょっとウザかったもんねさすがに。だけど100なんですよ、その愛を伝える時だって当たり前に100なわけ。自信もないのに100。強引さはぜんぜんないんだけどその100の情熱でぶつかってこられたら、ねぇ?

喪服のアーシュラは許してしまったんだよな、心を。そして惹き込まれてしまった。

惚れたほうの負け、そんな言葉がよぎる。

 

《正門良規のヴィンセント》

ジャケットを脱ぐともうそれはタイタニックのジャックと同じようなファッションなんですけどくるくるパーマでとにかく可愛い。愛嬌がすごい。このお話、男性はヴィンセントと下宿人のサムの二人しか出てこないけどサムのシュッとした"格好良さ"とヴィンセントの愛嬌のある"芋感"が絶妙じゃない?(自担なのに芋とか言っちゃうんだ)

だけどここが格好良くなってしまわないところが良いなと思う。パンフレットの髪型じゃなくて良かった~(勝手に命拾い)

人々を巻き込みながら時に拒絶され、許され、愛され、手を差し伸べてもらってなんとか生きてこられた人。その生まれ持った感性、火傷しそうな情熱、人間力

ちょっと良くしてもらった人間に気を許してしっぽ振って懐く柴犬みたいなかわいらしいさまである。いや柴犬は正門くんだからかもしれない。

 

私は正門くんに沼落ちした当時のことを振り返るとき「沼に落ちたというより気がついたら向こうが入ってきていた」と言ってるんですけどヴィンセントにもそれに近いものを感じる。あんなに癖が強いのになぜか許してしまう、というか許す前にもう入ってきちゃってるけどなんか追い出せませんどうしましょうみたいな。すごいよ正門ヴィンセント、いとおしさが。

 

《才能への固執

アーシュラのさ、才能に魅せられそれを育むことで心が満たされるようなあれ、夫を失った悲しみに加え年齢、更年期も大きくかかわっているような気がするな。ヴィンセントとの出会いよりずっと前、夫を亡くしてから15年間浮き沈みを繰り返し、下宿人サムですら元気なときそうじゃない時を察してしまうほどには何かを抱えてしまった人。

ヴィンセントと一線を越えた次の場面から鮮やかなピンクのスカートに真っ白なシャツで肌ツヤもワントーンアップしてるアーシュラ、目に見えて鮮やかな色を纏うアーシュラの心の変化には安堵したし、コソコソ手繋ぎを試みる二人はなんだかウブで可愛らしくて微笑ましかったけど、ヴィンセントと出会うずっと前から喪服を着てあからさまに負のオーラを纏っていたアーシュラは竜巻男ヴィンセントと同じくらい"厄介"であり"腫れ物"だったのではないだろうか。

母親があんな感じなのは結構しんどくないか?なぁ娘?後半、なんとなくユージェニーにも母親アーシュラと同じような匂いを感じちょっとキツかった。

いい時とよくない時の振り幅、あの雰囲気はなかなかリアルだなぁと。ホルモンバランスの乱れというかキリキリしたり塞ぎ込んだりというあれ。女性としてなんか分かる、もあった。

もちろんそれだけが理由ではないんだけど。

 

ヴィンセントもヴィンセントで娘から母親への心の移り変わり早すぎない?まぁユージェニーは一目惚れだから顔から入ったわけだけど、それにしてもですよ。ヴィンセントすぐでかい声で「愛してる」とか言うじゃん落ち着いてください。

この頃のヴィンセントはまだ"女性"を知らなくてとにかく自分の内からわき上がる規格外のエネルギーに頭を抱えてしまってるような、なんとか抑制するのでいっぱいいっぱいみたいなひとだった。世間でいうところの拗らせ童貞みたいなもんか。

だけどこの若さと情熱がアーシュラには必要だったんじゃないかなぁ。染、色のときに岡田義徳さんが「歳を重ねて負け方や世の裏側を知ると自信に根拠が必要になる。だから負ける勝負はしなくなる」根拠の無い自信はいちばん強いんです、論破できないものだから──みたいな事を言っていてすごく説得力があったんだよね。

史実によればゴッホは年上の女性との恋愛が多かったらしい。というかイギリス・ロンドンという地、下宿先での恋愛というのがゴッホの初恋だったという説もある。この作品はそのあたりから着想を得ているのかな、女性と二人きりになるのが初めてだと言っていたし。

そしてこの舞台を観る前に少し調べていたんだけどゴッホの父親は牧師であり、ゴッホ自身ものちに伝道師とかそっちのほうに進んでいく。(四幕のときすでにそうなっていた)ということはゴッホは父の宗教的な教えにかなり影響を受けているのではないだろうか。

ヴィンセントも、途中ででてくる妹も育った環境の話をしきりにしていたし。

ヴィンセントの愛情って、愛は愛なんだろうけど、そこに献身とか慈善とか自己犠牲とかなんとなくそういうものを強く感じるんだよね。「あなたの年齢を、あなたの不幸を愛しています」みたいなセリフがあったんだけどそれも愛というかある種、救いの手を差し伸べている自分に陶酔しているようにも感じられるなとか…まぁ翻訳したときのニュアンスとか色々あるけど。

自分の持ち物を売り払ってそのお金で貧しい人を助けることに喜びを感じるのちのヴィンセントを思うと、「不幸を愛している」このあたりの言い回しはいろいろ考えてしまったな。「あなたは僕の不幸を写す鏡だ」というのも。鏡だとしたら目の前にいるその人を愛し救えば結果自分も愛され救われるみたいなさ。

他者への奉仕の精神は究極の自己愛でもあるよなぁとは常々思っているので。ヴィンセントは自己愛が強すぎたひと、なのかもしれない。

ゴッホの女性関係を調べてみると、家族に反対されるたびに離別を繰り返していたといわれていて。もちろん父や弟にたびたび援助してもらいながら生活していたというのもあるけど、あ、そこ貫かないんだ?みたいなのもある。

三幕では妹にアーシュラとヴィンセントの関係がバレてしまうんだけど、「父さんにもしこれがバレたら」のくだりは妹が兄に突きつけた印籠みたいなもので、結局決まっていたパリ行きの話もしていなかったヴィンセントはアーシュラに何も告げずに下宿先から姿を消してしまうんだけど「なぜ?」とはならなかったかな正直。

別れを面と向かって告げることで自分がアーシュラに直接与えてしまうであろう痛み、痛みを下すことも、それにともなって自分が受ける痛みも怖かったんじゃないかな。無責任だし臆病だよね、あんな情熱的に告ったくせにさ。「それが1番いいと思った。」じゃないのよ。

だけどヴィンセントに誠実さみたいなものを求めるのがそもそも間違っているような気もするな。

彼の行動を我々が理解できるわけないじゃないですか(それはそう)

無意識に人を傷つけやすく、そして傷つきやすい。未熟で臆病で繊細で無神経で愚かで、そして優しい人。

惚れたほうの負け、また書いてしまうけど本当に惚れたほうの負けなんですってこういうタイプの人間は。

 

あんな去り方をしておいて2、3年後にひょっこり下宿先に現れるヴィンセントというのが四幕。

四幕は土砂降りの雷雨から始まり、三幕までのあたたかさや生活感、匂いは失われていて舞台上が薄暗いまま展開されていくのもアーシュラの心情を強く物語っているなぁ。あきらかに老けてしまっているアーシュラ、つらいな。

"女は決して歳をとらない、愛し愛されている限り"

アーシュラの絵(裸体)にこの言葉を添えたヴィンセントの事を思い出した。何も告げずアーシュラのもとを去った今となっては、これはもう残酷でしかないのよ。

ヴィンセントがアーシュラにプレゼントした1年に2度咲くすみれの花にはそこまで希望は見いだせなかったかなぁ私は。いや、もっと早く持ってきなさいよとか思っちゃう。三幕の2~3年後の話だからねこれ……(染、色でも1年に2度咲く桜、秋に咲いた桜は春にまた──のくだりがありましたね)

 

ちなみにこの"女は決して歳をとらない、愛し愛されている限り"という言葉はグッズのスマホスタンドにも使われていて、オタクに「両思い?」と聞くアイドル正門良規を思い出しましたね。正門ゴッホすごいな

!!!!!!長生きします!

 

話に戻ります

 

美大を目指していた下宿人サムはユージェニーとの子供を授かり結婚し、その道を諦めていて。サムの才能を信じる事、平凡を脱し崇高の地点に到達する彼らに夢を見る事で保たれていたアーシュラの精神状態は崩壊した。愛し合ったはずのヴィンセントを突然失い、サムの芸術家の道も閉ざされ、という。

正直、アーシュラにはあんまり感情移入できないんだけど、ヴィンセントと激しく求め合った日々を「恥ずかしい」と振り返るアーシュラを見ていたらいたたまれない気持ちになっちゃったな。燃えれば燃えるほど後からみじめになってくるあれ、すごい分かる。

 

労働者、芸術に価値をつける画商、芸術を学ぶ美大生、そして宗教とか才能とか…

結局、芸術家ってなんなんだろうね。芸術とはなんなのか、芸術で崇高な地点に到達するとは。序盤でサムが言っていた「芸術は労働者の所有物だ」という言葉もうまく噛み砕けないけど心に残ったな。

人生は色んな人と出会い、色んな価値観に触れ、さまざまな選択肢を自分で選んでいくわけだけど、その選択は他人から見れば"逃げ"や"間違い"だと言われる事もある。他人を"逃げ"や"間違い"だと批判する自分もまた、他人から見たら何かから逃げ、間違っていると言われているわけで。ヴィンセントは感情ファーストのひとだから他人の価値観をたびたび傷つけてしまうんだけど、なんだろう、受け入れる柔軟さも持っているんだよね。柔軟さというか、すべての価値観をみずみずしく学んでいく純粋さというか。劇中でヴィンセントがハッとしてそこで初めて申し訳ない顔をする、みたいな瞬間がけっこうあった。

画商の頃のヴィンセントは労働する手、履き古した靴に何も見いだせなかったわけだけど、ラストの場面では自分の履き古した靴を無心でスケッチするヴィンセント、そこに一筋の光を見るアーシュラの姿がある。

はっきりいってよく分かりません!すみません。

だけどこれって「美しい景色を探すな、景色の中に美しいものを見つけるんだ」なのかなと。

これはゴッホが弟のテオに送った手紙の一節とかなんとか言われていてまぁちょっと出典元も曖昧なんですけど(こんなようなことを言ってたらしいみたいな記事しか見つけられなかった)、イギリスでの出会いや人との交流で"景色の中の美しいもの"の価値観にゴッホは気がついたんじゃないかなとか思う。

というか、私はそう受け取りました。

 

 

最後に

この作品では描かれていないんだけど、ゴッホを献身的に支え続けた弟テオ。このテオという人物がなかなかに好きで。

テオに子供が生まれたお祝いとしてゴッホが送った作品がすごい好きなんですけどそれが《花咲くアーモンドの木の枝》なんですよね。

下宿先の部屋の縁飾りがこれだったのに何らかの意味を感じたり感じなかったりしながら、私のヴィンセント・イン・ブリクストンはここでいったんおしまいです。むずかしかったけど楽しかった。

 

千穐楽の追記───

「貴方が僕に恋をしているうちに」

というセリフ、好きだった。

 

 

正門くんのストレートプレイ、また観れたらいいな。