好き、でしかない

 

こんなことを書いていたのをなぜかグレショー鬱憤回の藤井さんのツイートで思い出したから残しておきたい。

藤井さんのツイートは「こじけんとはずいぶんいろいろ話し合った」から始まり「どこまでも真摯に取り組む姿勢が、好きだ」と締めくくられていた。

 

「好きだ」

 

これだよ、これこれと思う。

それにしても小島の小島力すごくない?ステスクのグレショープレイバックで見る演出家さんからの小島評、毎回小島がすぎる。

 

私だって小島が好きだよ

 

「好き」を使う人って少ないよね、意外と。という気づきもある。

SNSやってるとたびたび思うんだけど

1番顔が良い、芝居が上手い、ダンスが上手い、歌が上手い

これ、おもんない言葉だよなぁと思う。

そりゃツイートなんて脳直なんだからおもんなくてあたりまえだし、そもそも人におもしろがられるためにやってるわけでもないし、そういうランキングだって世の中には溢れているんだけど

 

シンプルに「〇〇が好き」じゃ駄目なんですか!?みたいなところがある。そういう私も「エッ顔が良い」とかはたまに使っちゃうんだよね脳直だからさ~。

みんな自分の担当がNO.1に決まってんじゃん、オタクは自担しか目に入らないんだよ。だからミョもそろそろランキングやめな???

 

例えば、「ここのカレーが世界一美味しい」と書けば「そうでもない」という反対意見にぶち当たる。

これを、「私はここのカレーが1番好き」と書けばどうだろう。

その人が自分の友達ならあぁそうなの?ってカレーを食べに行くかもしれない。流行るかどうかは別として、赤の他人であっても好きだというその人の言葉に対して反論してくる人はたぶん少ないんだよな。

(カレーで例えるのヤバい、分かりづらい)

 

SNSは、というかオタク界隈は日々そんなことをしているなぁと思う。

1番顔が良い、ダンスが上手い、芝居が上手い、歌が上手い

その言葉には必ず「そうでもない」の声がある。それはそう、オタク(素人)が思いっきり贔屓して自担の事を喋ってんだから。

オタクは1番〇〇に敏感だよ、だって1番は自担だから…………

まぁ関係者(玄人)が言ってくれたところでしっくりこないのは、ここ何年かでSNSでの推し活がすっかり加熱しきってしまったからかなぁ。お前ちょっと気持ちよく喋りすぎだぞ……と思う関係者もいる。どうも推し活ビジネスとSNSはその手軽さから妙に相性が良いらしい。悪い意味で。

アイドルを推すって、推し活って、アイドルの手から離れたところで巻き起こる代理戦争がほぼじゃんね(ほぼではない)

自軍がNO.1、うちの〇〇がNO.1、という団体戦

なぜこんなにもアイドルは日々鋭い刃を向けられてるわけ?と考えると単純にオタクのせいじゃね?と思う事がある。

推しを推す、という行為はオタク側が揉めば揉んだ分揉み返しという名の反論が必ずあって、それはぜんぜん可哀想でもないし、なんならお前(オタク)が言ったんだよ。と思う。

お前が広めたアイドル像を背負わされてんだよって。特に発信することが控えめなアイドルたちは、オタクのほうがめちゃくちゃ声がでかかったりする。代弁ってやつ。

それはもうお前(オタク)が始めた物語だろと思う。

 

そもそもオタクって個人戦じゃない?というかわたしは個人戦でいたいなぁって。アイドルとオタクの物語っていつまで経っても交わらないし、アイドルは終わりを決められるけどこっちはアイドルたちの終わりも、終わり方も、続く未来も何も選べないからな。オタクがするアイドルの推し活とアイドルの人生は別物だよ。

だからオタクのなかで意見をまとめる必要はないし、導く必要もなければ足並みを揃える必要もないと思う。だってオタク同士が擦り合わせたところで意味がない。1番とか2番とかもまじで無意味。

そして、何度も思ってしまうんだけどオタクのいう優しさなんてたいして正しくないだろと思う。というか、正しさなんてもののガイドラインが文字を打つ側にあるのかなって。SNSにおける優しい世界だけ~とか、優しい言葉だけ届くように~とか。いやそれだって分かるけども。

直接話したこともない男の魅力を声高らかに熱弁してるわけで。文字にして世に広めている時点では優しさだったとしても、その優しさは受け取る人間次第になってしまうし、この"受け取る人間次第"というのが実は一番こわいことだなって思う。

文字にして世に放ってる時点でひとつも正しくないんじゃないかとか思うもんね、オタクは無責任だよ。というか、責任のとりようもないのがオタクだよ。

そんな無責任に脳直で喋った言葉を"真に受ける"オタクもまた多いなって、これはオタクによる無責任の永久機関

テキストは原型をとどめないほど揉みくちゃにされるし、優しいエピなんてまとめたら3年は顔も名前も知らないオタクに擦られるし、逆にアイドルが"そうじゃなかったとき"は倍返しくらいで外から叩かれるという。

これは全部アイドルの"いない"世界で日々起こっていること。

「顔がいい」と「いい顔をしている」の違いも、「芝居が上手い」と「いい芝居をする」の違いも、そのニュアンスをうまくつかまえられないような人間がゴロゴロいるのがSNS(Twitter)じゃん。

御守りにしようと打ち込んだ大切な言葉たちが、巡り巡ってアイドルに向けられた刃に加担しているかもしれないと思うとなんにも笑えないね。優しい世界ってなんやねん!!!!?て思う

 

余談ですが「うまい芝居と褒められるよりいい芝居をすると思われるようになれたらえぇな」の正門くんが好きだった話をどこかでしたかったけどもうここで言っちゃお。

 

分かりますか、これが。

 

 

もはや好きとオモロいだけ携えてヘラヘラオタクしてたほうがよっぽど健全なんじゃないかとか思う。

 

 

───君だけの輝きだから誰にも内緒でいいのさ

(トニセン先輩を思い出しています)

 

つまるところこれなのかなって。

 

ここ最近は「好き」と「面白い」の二刀流で健やかにオタクができているような気がするんだけど、オタクのくせにこんなに健やかなのなんでだろうと思ったらやっぱり自担正門良規の存在がでかい(トニセン先輩じゃないんかい)

色んな事に対していい意味で真に受けなくなった、というか。

「好きに面白がってください」の自担にヒタヒタに浸かって面白がれる余裕まで生まれた。

おかげさまで相変わらず健康にオタクやらせてもらってます。

 

 

ありがとう自担、痛風に気をつけるんだよ……

 

 

SNSによる褒めちぎり合戦に飽き飽きしていた頃だったから藤井さんの小島評「好きだ」はなんかいい感じにストンと胸に落ちてきたな。一緒に仕事をした人に単に「好きだ」と言われる小島の小島力というのもあるけど、「好き。」私もこれを持って自己完結するオタクしたいな~としみじみ思う。

 

推し活ブームにより、公式からも関係者からもオタクとして至れり尽くせりされてしまい、時にはオタクのくせに勝手に手応えなんか感じちゃって悦に浸ってついつい忘れてしまうんだけど(一番ダメなやつ)、オタクはオタクでしかないんだということ。

自分で始めた物語の結末は自分で結びたいな、と改めて思った。